CHAPTER THREE

赤い数字

彼の名前は、試合表にはなかった。表彰台の記録にも、引退選手の一覧にもなかった。だが賭博室の評価表には、赤い印とともに残されていた。

Chapter Three

赤い数字

部屋の中は、暗かった。

だが暗闇ではなかった。壁一面に並ぶスクリーンが、赤い数字を吐き続けていた。点滅するオッズ。上下する確率。細い白線で描かれたグラフ。選手番号。負傷履歴。搬送先。金額。

彼は、最初それを試合の記録だと思った。

だが違った。

試合は、結果を記録する。ここにある数字は、結果が起きる前から動いていた。

スコアを知る女は、彼の隣で何も言わなかった。薄いモニターの光が、彼女の横顔を白く切り取っていた。彼女は驚いていない。怒ってもいない。ただ、昔から知っていた罪をもう一度見るような顔をしていた。

「見る場所が違う」

彼女は低く言った。

「試合映像を見るな。数字が動く瞬間を見て」

画面には、地下闘技場の映像が映っていた。二人の男がリングの中央で向き合っている。観客は声を上げない。歓声のない試合は、葬式に似ていた。

片方の選手が、右足をわずかに引いた。

その瞬間、画面右端の数字が跳ねた。

まだ殴っていない。まだ倒れていない。審判も動いていない。それなのに金が動いた。何かが、結果より先に反応していた。

「これは賭博じゃない」
彼女は言った。
「実験の決済よ」

彼は言葉の意味を理解したくなかった。

スポーツには、ずっと裏側があると思っていた。スポンサー、放映権、契約、八百長、薬物、政治。綺麗な世界ではないことくらい知っていた。だが、それでもリングの中だけは違うと思っていた。

リングの中には、痛みがある。呼吸がある。相手の目がある。逃げられない場所で、人間が人間として立つ最後の線がある。

その線さえ、ここでは数字にされていた。

The File

彼の名前は、番号に変えられていた。

スコアを知る女が開いたファイルには、主人公の競技成績ではなく、身体と心理の評価が並んでいた。

最大酸素摂取量。反応速度。左肩の可動域。右膝の古傷。睡眠不足時の判断低下率。痛みへの耐性。怒りの立ち上がり。命令への反応速度。

そして最後に、彼が知らない言葉があった。

制御可能性

七十二パーセント。再投入候補。山道メニュー適性あり。第七チェックポイント反応未確認。

賭博室のスクリーンに赤い数字が並ぶ。主人公の身体データと試合ログが表示されている。

「これは何だ」

自分の声が、自分のものではないように聞こえた。

彼女は答えなかった。代わりに、画面を一つ戻した。古い記録が開く。十年前の日付。強化キャンプ。山道。午前四時四十分。無言走。選手番号。赤い印。

彼はその日を覚えていた。

霧の濃い朝だった。息が白く、靴紐が冷えて硬かった。トレーナーはいつもの場所に立っていた。ストップウォッチを持ち、笛を首にかけ、選手たちの目を一人ずつ見た。

速く走るな。止まるな。

その言葉は、昔から耳に残っていた。意味のわからない矛盾。だが今、画面の中で、その言葉が別の形に変わっていく。

速く走れば、見落とす。
止まれば、捕まる。

「彼は知っていたのか」

彼女は、そこで初めて彼を見た。

「途中から」

「途中?」

「最初から善人だったわけじゃない」

その言葉は、殴られるより重かった。

トレーナーは、彼を守った。そう信じたかった。死んだ男を、裏切り者にしたくなかった。だが画面の記録は、死者にも容赦しない。

トレーナーはシステムの一部だった。

そして最後に、そのシステムを裏切った。

Evidence

第三章で明らかになること

試合より先に動く金

賭博室の数字は、結果の後ではなく、結果の前に反応していた。誰かが選手の動きと限界を事前に読んでいる。

主人公の評価表

主人公は選手としてではなく、制御可能な対象として記録されていた。競技成績よりも、恐怖と命令への反応が重視されていた。

トレーナーの罪

トレーナーは真実を知った被害者ではない。かつてシステムに関わり、最後に裏切った人物だった。

画面の下に、別のファイルがあった。

失踪者一覧。

彼はそれを開くなと言おうとした。だが彼女は、すでにクリックしていた。

名前が並んだ。

知っている名前があった。昔、キャンプで隣のベッドにいた少年。いつも膝を揺らしていた軽量級の選手。冗談ばかり言っていた短距離走者。山道から戻らなかった男。

彼らは引退したのではなかった。

消えたのでもなかった。

移送されていた。

彼の胸の中で、何かがゆっくり冷えていった。怒りではない。怒りなら、まだ熱い。これはもっと静かで、もっと危険なものだった。

彼女が言った。

「地下闘技場に、まだ生きている人がいる」

「誰が」

彼女は一つの映像を開いた。

リングの向こうに、男が立っていた。

顔は半分しか見えない。呼吸も見えない。汗も見えない。恐怖も、怒りも、勝ちたいという欲も見えない。ただ、命令が来るまで待つように、静かに立っていた。

彼は、その男を知らなかった。

だが、どこかで見たことがある気がした。

敵ではない。
これは、調整された人間だ。

画面の端に、赤い数字が浮かんでいた。

制御可能性、九十一パーセント。

Connected Files

関連ファイル

WORLD

賭博室

人間の身体と恐怖が、数字に変換される部屋。

CHARACTER

ライバル

九十一パーセントの制御可能性を持つ、リングの向こうの男。

End of Chapter Three

赤い数字は、名前を消す。

主人公は、トレーナーの死が始まりではないことを知る。 それは、長いあいだ隠されていた記録が、ようやく人間の声を取り戻した瞬間だった。