赤い数字
部屋の中は、暗かった。
だが暗闇ではなかった。壁一面に並ぶスクリーンが、赤い数字を吐き続けていた。点滅するオッズ。上下する確率。細い白線で描かれたグラフ。選手番号。負傷履歴。搬送先。金額。
彼は、最初それを試合の記録だと思った。
だが違った。
試合は、結果を記録する。ここにある数字は、結果が起きる前から動いていた。
スコアを知る女は、彼の隣で何も言わなかった。薄いモニターの光が、彼女の横顔を白く切り取っていた。彼女は驚いていない。怒ってもいない。ただ、昔から知っていた罪をもう一度見るような顔をしていた。
「見る場所が違う」
彼女は低く言った。
「試合映像を見るな。数字が動く瞬間を見て」
画面には、地下闘技場の映像が映っていた。二人の男がリングの中央で向き合っている。観客は声を上げない。歓声のない試合は、葬式に似ていた。
片方の選手が、右足をわずかに引いた。
その瞬間、画面右端の数字が跳ねた。
まだ殴っていない。まだ倒れていない。審判も動いていない。それなのに金が動いた。何かが、結果より先に反応していた。
「これは賭博じゃない」
彼女は言った。
「実験の決済よ」
彼は言葉の意味を理解したくなかった。
スポーツには、ずっと裏側があると思っていた。スポンサー、放映権、契約、八百長、薬物、政治。綺麗な世界ではないことくらい知っていた。だが、それでもリングの中だけは違うと思っていた。
リングの中には、痛みがある。呼吸がある。相手の目がある。逃げられない場所で、人間が人間として立つ最後の線がある。
その線さえ、ここでは数字にされていた。